長春市民の憩いの場 南湖公園 8/9 その2 [旅行記(中国編)]
長春旅行の続きです。ここからの続きです。
満洲時代の官庁街を歩き続け、疲れた足を癒すのは
その先にある巨大な公園です。
222ヘクタールの敷地。そのうちの93ヘクタールを占めるのが
南湖という湖。長春を貫く伊通河の支流をいくつかせき止めて
満洲時代に造営された人造湖。
その回りをさまざまな草木が植えられていて、
まるで昔からある風光明媚な絶景を思わせる雰囲気を
醸し出しています。
ちょうど蓮の葉の間には花も咲き開き、さわやかな
気持ちにさせてくれました。
満洲の官庁街を歩く 8/9 その1 [旅行記(中国編)]
先週は日本に帰っていたりでとたばたしていたので、
途中になっていた、長春旅行記の続きです。
途中になっているのは、他にもあるけれど・・・。
初日は人民広場から北方面を歩いたので、
二日目は南側へ。新民大街へと向かいます。
ホテルを出て歩き始めて最初に目に付いたのが、この工事中の
ビル。一文字だけ字が小さいなと思ったら、間違って紙で直して
いるんですね。銀連大厦なのに、銀聯大厦って書いちゃってます。
銀聯っていうと、中国国内のデビットカード/クレジットカードの
ブランドなので、そっちのほうが通りがよくて間違ったんでしょうか。
康平路に入って、そこで待っていたのが荷車を引くロバ。
前日も見かけて馬車だと思っていたのは、ロバだったんですね。
瓜だったりスイカだったりを満載した荷車を引いています。
朝から暑くて休んでいますけど。
休みといえば、同じく康平路で見かけたこの張り紙。
「今日は遊びに出かけています。明日は正常に営業します。」
この潔さが気持ちいいです。
そんなこんなで、Uの字になっている民主大街に到着。
なんだか歴史を感じさせる赤い壁に出会いました。
かつて新京と呼ばれた街 長春 [旅行記(中国編)]
しかし、歴史を紐解いてみると、それだけではありません。
1945年8月8日深夜、ソ連が日ソ中立条約の破棄と
宣戦布告を日本に通告し、そして、8月9日未明には
ソ連軍が日本軍への攻撃を開始。
その後の満洲での惨状、更にはシベリア抑留、
残留日本人孤児なんてことをあえてここで詳しく
語る必要もないでしょう。
山崎豊子の「不毛地帯」と「大地の子」を読んで、
満洲の地を訪れたいなと思い始め、実際いつ行けるかを
考えた結果、今日明日の土日で行こうということにしたんですが、
ちょうど意味のある日に当たっていたということです。
ということで、旅の目的地は吉林省長春。
満洲国時代には、新京と呼ばれ、首都とされた街です。
北京のスタバより [旅行記(中国編)]
乗り継ぎ地の北京です。
離陸が20分遅れだったのですが、
到着は逆に定刻より10分前。
台風の風で飛ばされてきたんでしょうか。
北京に着いたら、うれしい報せがふたつ。
まずは全日本少年サッカーでグランパスU-12が初優勝。
やっぱり今日は名古屋の日ですね。
そして、高校野球の開幕戦で、ヨメの母校の隣りの学校が
逆転勝ち。傍から見ると、ヨメの母校そのものなんですが、
男子部と女子部とがあって、それぞれ別の学校だって
言い張るので、隣りの学校。でも、もうすぐ統合して
共学になるらしいんですが。
それでも、やっぱりうれしかったらしく、ヨメから
自慢のメールが入ってました。
最終目的地はここから東北へあと1時間半くらい。
スタバでお茶して、本読んで待ってます。
大連を見下ろす [旅行記(中国編)]
大連でロシアと日本の面影を [旅行記(中国編)]
大連旅行の続きです。
旅順から市内に戻ってきたのが、3時前。
ホテルにチェックインしてから、少し市内をぶらっとしてきました。
大連駅の北広場を抜けて、市場とかを冷やかした後、
そのまま路地へ。
どこか、異国の雰囲気の漂うところにやってきました。
「坂の上の雲」に思いをはせて旅順まで [旅行記(中国編)]
この週末に大連に行ってきました。
大学の後輩が半年の予定で語学研修留学に
来ていて、今月末に帰ってしまうので、
遊びに行ってきました。
寒かったら嫌だなと思っていたら、ちょうど
気温が上がり、最高気温が7度くらいまで。
一日中マイナスを覚悟して、ユニクロの
ヒートテックを着込んでいったんですが、ちょっと
暑いと思うくらい。
大連に行くのはプライベートと出張をあわせて3回目。
市内の定番はある程度行ったことがあるので、
ある場所に連れて行けとリクエストしました。
その場所とは、旅順です。
大連の半島の先端にある港町。
「坂の上の雲」を愛読書とする俺としては、
一度は訪れたいと思っていた場所。
水運の要所として、日露戦争の最激戦地と
なったところです。
朝のフライトで上海から大連に到着。
市内にタクシーで向かってから、旅行会社の人と合流。
車で一路、旅順へ向かいました。
中秋節 九寨溝・黄龍の旅 2008/9/15 その3 [旅行記(中国編)]
無事にカンボジアから帰ってきました。
プノンペンの空港で乗り継ぎ便のチェックイン
カウンターがなかなか開かず、1時間も並んで
待たされたのにはくたびれましたけど。
アンコールワットのことも書きたいですが、
休み前からの黄龍のことを先に書き上げます。
ここからの続きです。
どうやら俺らよりガイドさんが高山病にかかってしまったよう。
早く戻りたい彼は途中の説明を一切せず、ひたすら
下山を急いで歩きます。流れから離れたショートカットの
コースを歩く始末。
仕方がないので、自分たちでちょっと戻ったりして、
気になるところを目に焼き付けます。
蓮台飛爆
遊園地とかで、滝を作ったら樹脂でこんな風景を
作るかもしれませんが、これは天然。
水中に含まれる石灰分が堆積し、まるでつくりもの
のような滝を作り出しています。
黄色い石灰岩と青い池が多いここ
黄龍ですが、流れのよどんだところでは
こんな緑っぽい池も中にはあります。
中秋節 九寨溝・黄龍の旅 2008/9/15 その2 [旅行記(中国編)]
予定通りなら、今頃無事にプノンペン空港に着いている頃。
予約投稿機能を使って、アップしています。
ここからの続きです。
標高3552メートル、黄龍寺の後ろには、
また感嘆のうわぁ、すごーいという言葉を
連発させる美しい池が待っていました。
五彩池です。
中秋節 九寨溝・黄龍の旅 2008/9/15 その1 [旅行記(中国編)]
それでは続いて黄龍編。旅の3日目です。
ここからの続きです。
この日はトラブルからスタートです。
黄龍の観光をして今日のフライトで帰るには、
やっぱり朝は早く出た方がいいということで、
予定では朝の7時出発。
5時半に起きて、ヨメと順番にシャワーして出発の
準備を・・・、と思っていたんですが、なんとお湯が出ない。
仕方なくフロントに電話をしてみると、どうやら客が
少ないから給湯を7時からにしているらしい。
俺の語学力じゃうまく交渉できないから、ガイドさんから、
早めにお湯を出すように頼んでくださいって言っても、
餓鬼の使いにすらならないガイドさん。
前の日に疲れきっていたから、シャワーせずに
寝ちゃってるんだよね。もう、このまま汗臭いまま
出発かなんて思っていたら、6時半にお湯が出始めました。
そう言えば、前の日も7時前にシャワー使えたよな
なんて思ったりもしたりして。
そんなこんなで結局ホテルを出発したのは7時15分。
ここから一路黄龍へ向かいます。
ちなみに、ホテルの朝食のスタートも7時からなんで、
朝飯抜き。お弁当と称して、中華まんの餡抜きパンと
きゅうり、ザーサイをもらいましたが、どうも食欲が
沸きません。
ヤクに見送られながら、車の中で再び眠りにつきます。
空港のあたりまでは行きに来た道で、
それなりの道だったんですが、目が覚めた頃には
車はまた山登りを始めていました。
雰囲気はやまなみハイウェイかどこかを
走っているような気分なんだけど、ところどころ
舗装のはがれた道路をおんぼろトラックが走っていて、
ここが四川の山の中なんだということを思い出させて
くれます。
途中、ちょうど峠越えをするタイミングで雲の
中に突入してしまい、視界がなくなり不安に
思いましたが、九寨溝のホテルから2時間弱、
険しい山を越えて、黄龍に到着です。