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「坂の上の雲」に思いをはせて旅順まで  [旅行記(中国編)]

この週末に大連に行ってきました。
大学の後輩が半年の予定で語学研修留学に
来ていて、今月末に帰ってしまうので、
遊びに行ってきました。

寒かったら嫌だなと思っていたら、ちょうど
気温が上がり、最高気温が7度くらいまで。
一日中マイナスを覚悟して、ユニクロの
ヒートテックを着込んでいったんですが、ちょっと
暑いと思うくらい。

大連に行くのはプライベートと出張をあわせて3回目。
市内の定番はある程度行ったことがあるので、
ある場所に連れて行けとリクエストしました。

その場所とは、旅順です。

大連の半島の先端にある港町。
「坂の上の雲」を愛読書とする俺としては、
一度は訪れたいと思っていた場所。
水運の要所として、日露戦争の最激戦地と
なったところです。

朝のフライトで上海から大連に到着。
市内にタクシーで向かってから、旅行会社の人と合流。
車で一路、旅順へ向かいました。

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旅順は軍港の街。
今でもその大半は外国人の立ち入り制限が行われていたり
して、観光名所も事前申請が必要だったりする。
それもあるので、旅行会社で手配して、専用車で
旅順に向かいます。大連市内から1時間弱です。

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まず最初に向かったのが東鶏冠山北堡塁。
203高地と並ぶ日露戦争の激戦地。

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ロシア軍の守備陣地として要塞化されていました。
そこに何千と言う日本兵が挑み、命を失っていきました。

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結局、後から攻略を開始した203高地を占領した後、
二十八センチ榴弾砲での攻撃を開始し、
それが指令室に命中してコンドラチェンコ少尉が戦死。
ロシア軍が降伏して、日本軍が占領します。

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ここがロシア軍の何千と言う兵士が宿泊していた
兵舎の跡です。2階建てでしたが、真ん中の床は
破壊されて、もうありません。

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山頂には日本軍によって建てられた記念碑が
立ちます。

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壁に残る無数の銃痕が戦いの激しさを
物語っています。

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東鶏冠山北堡塁

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続いて向かったのが、水師営会見所。
ロシア軍の降伏を受け、1905年1月5日に
日本側代表乃木希典将軍、ロシア側代表ステッセル中将
との間で、会見が行われた場所です。

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1996年に公開されたときに、今の建物は再整備
されたものらしいですが、左側のロシア軍控え室に
当時の会見の様子が再現されています。

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会見当時の写真だとか、ステッセルが乃木将軍に
贈った白馬の写真だとかが展示されています。

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そして、右側の日本側控え室が、日露戦争以降の
旅順の様子についての展示。

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日露戦争をどう闘ったかだとか、

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その後の旅順をどのように開発したかの
写真はいいんですが、

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こんな悪意に満ちた写真も掲示されていて、
ちょっとげんなりです。
俺の認識だと、日露戦争までは軍紀も保たれていて、
無辜の民衆には危害を加えていないはず。
その後の関東軍の仕業も含めて、日本軍への
悪い印象を与える展示になってます。
ここを訪れる観光客で一番多いのは日本人で
あるはずなのに。

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大正5年に作られた最初の石碑は、今は
退かされて、片隅に立てかけられています。

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水師営会見所

つづいて、旅順市街から西に外れたところにある
標高203メートルの小山に行きました。
そう、そこが203高地です。

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中腹の駐車場で車を降りて、そこから徒歩で
山頂まで向かいます。
その道5分ちょっとの山登りでしたが、その山頂に
たどり着くことなく、命を失っていった日本兵が
1万人以上もいたということを思うと、
多少脚が痛くなろうとも、文句なんて言わずに
歩かないといけないなと改めて感じました。

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そして、標高203メートルの山頂に到着。
ここには乃木希典将軍が名前ももじってつけた
爾霊山(にれいさん)の記念碑が立ちます。

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203高地に落ちていた弾丸や薬莢を溶かして作られたもの。
先端部は文革時に破壊されたが、現在は修復されています。

ちなみに、この横に立つ中国人が作った案内板には、
「これは日本軍国主義が外国を侵略した犯罪の証拠と
恥辱柱となっている。」と書かれています。
隣りの「銘記歴史勿忘国恥」の看板もそうですが、
自国の領土にて、日本軍が勝ったということが、
よほどうれしくないようです。東鶏冠山北堡塁の
記念碑のところでも、似たようなことが書かれていましたし。
でも、あの時代背景の中で、日露戦争は侵略戦争として
捉えることは出来ないだろうし、当事者能力を失った
清国の領土の上で、ロシアと日本が戦ったという
だけなんだろうけど。
まあ、まともに歴史を教えない中国ではまともな
議論は出来ないでしょうけどね。

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閑話休題。
そして、これが203高地からの旅順口の眺め。
確かに、港が一望できます。
往時にはここに旅順艦隊が鎮座していたわけです。

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そして、ロシア式の150ミリキャノン砲(右)や
日本式の280ミリ榴弾砲(左)のレプリカが置かれています。

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また、北西の斜面では乃木将軍の次男、
乃木保典が戦死した場所に石碑が建っています。

この石碑に、また心ない中国人の落書きがあって、
また嫌な気分になりました。

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203高地

戻りは、旅順軍港の前を通り、
旅順市内を抜けて帰ります。

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海沿いの道に出ると、そこが軍港。
グレーの船が停泊しています。
もちろんロシアの旅順艦隊ではなくて、中国の
海軍なわけですが、ここも日露戦争の戦場だった
んだよなと感慨に浸りながら、
車の中から、デジカメのシャッターを切りまくり。
外国人が自由に歩けないエリアですが、
車から降りなければいいんだそうです。

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ちなみに、旅順軍港の目の前にある旅順駅。
帝政ロシア時代に作られたかつての東清鉄道の
終着駅です。中国の他の駅とは違って、
ロシアっぽい雰囲気を醸し出しています。

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週明けに元宵節を控え、駅前には牛の灯篭が
飾られていました。そこはやっぱり中国です。

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その後、旅順市街中心を通って、再び大連への帰路へ。
100数年前に思いを馳せた旅順の旅が終わりました。
現場にいったことで、また坂の上の雲でも読み返そうかなという
気にもなってきました。他にも読まなきゃいけない本が
たくさんあるんですけどね。

同じくアンコールワット旅行のことも書かなきゃいけないですが、
大連旅行の続きももうちょっと書いてみようと思います。



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